勉強嫌いな人に言いたい
先日、明星大学の学生が対面授業をしないのは契約義務違反だとして大学側を訴訟したというニュースを見た。
大学生でない方のために説明すると、多くの東京の大学生は昨年春から100%の対面授業は実現できないでいる。
特に今の大学2年次は入学時からオンライン講義、最近やっと対面が始まったということで、友人や人脈を作れずに困っているという声をよく聞く。
筆者自身はもう単位も取り終わった隠居の身であるから今更対面授業にこだわるという気持ちは乏しいのだが、1,2年生にとっては切実な問題だと思う。
その反面、この明星大学の学生のように大学側に「対面を増やせ!」という訴えが意外と少なかったように思う。
学費の内訳を見ても、設備費や光熱費などは通学を禁止しているくせに据え置きだ。
そんなの普通の企業がやったら詐欺のようなことなのに、大学においてはそういう訴えが出てこないのは不思議だなと思って見ていた。
まあこの理由というのはきっとシンプルで、手続きが面倒くさいというのと
大学の役割が教育それ自体というよりも「卒業と就職」という部分に偏ってきたという実情があるんだろう。
さて大学に行くのが当たり前になっている現代、勉強嫌いだという人に言いたいことがある。
苦手意識を持っているのかもしれんけど、
偏差値なんかには何も意味ないで!
高校時代偏差値教育を浴びるように受けてきた自分がこんなことをいうのもなんだが、今思えば偏差値や大学の格にこだわって勉強するほどつまらないことはなかったなと思う。大学4年の10月になって思う(笑)
よくある質問に「先生~なんで勉強ってしなくちゃいけないんですか~」というのがある。
これに対して私は現時点での1つの答えを持っていて、
「興味のきっかけを作るためだよ!」
と答える。
学校教育、特に進学校では教科書に書いてあることを丸々覚えさせて試験でいい点を取るように教えられるし、実際そのことをモチベーションに頑張る生徒が多いと思う。
そんな価値観の中でそこから漏れた子は付いていけなくて勉強に苦手意識を持つ。
私は勉強の本質がそこにあるとはあまり思わない。勉強で必要なのは最低限の基礎力を身に付けることと自分の人生を形作るピースを見つけることだと思う。
例えば私が今文字を打っているWindowsのパソコン。これは突如この世に生まれたものでは当然なく、子供のころに数字に興味を持ち、2進法について学び応用した人がいたから誕生したものである。
宇宙飛行士だって勉強の中で科学の面白さを発見するという原体験がなかったら大変なトレーニングに耐えることはできなかっただろう。
だから私は勉強する意味はそれ自体にあるのではなく、していく中で何かに興味を持つことで、自分の人生に価値を与える点にあると信じている。
価値とは仕事を通じて社会で認められるということでもいいし、人生をこれに費やす!という生きがいを見つけることでもいい。
私は学校にいて「なんで勉強するの?」へのちゃんとした答えを持った大人に出会わなかった。
大学に行くのが当たり前になって勉強の意味自体を問い直すことに目が向けられなくなったのか。
確かに学校でいい点を取ることにも価値はある。より質の高い教育が受けられる大学にはそうしないと入学できないからだ。それは否定しない。
ただ、大学進学が目的化された勉強に意味があるのかということを問いたい。
私は大学に行くことを目標にした勉強ではなく、それぞれの人生を豊かにするためのツールとしての勉強であってほしいと願う。
これからは大企業に入って既存のサービスに関わっていれば安泰だという時代ではない。むしろ自分が何してる時が幸せなのか、何に興味があるのかを知っていることが個人の時代には大事なことだと思う。
だから今勉強が嫌いだという人に言いたい。
偏差値で悩んでいるならそれはもったいない!
その先にある自分が熱中できることや生きがいを見つけるために勉強しなさい。
自分が成功したらこういう話を子供たちにしたいな。がんばらないといけない。
冒頭で紹介したニュースは自分の可能性を守るための行動で応援したくなる。
普通は「オンラインになって通わなくてよくて楽~」とか「卒業できればいいや~」と思いがちである。
だが学びの機会を失ったことがどれだけ自分の人生にマイナスなのかわかっているのか!?と批判することは、
訴訟どころか家のベッドからも身を起こさずパソコン打っている私には到底できないのであった。