村瀬の井戸端会議!blog

上智を卒業した新社会人22歳の雑記ブログです。閲覧ありがとうございます!ブログを通じた出会いを大切にしていきます。

震災を風化させない「語り部バス」

自分の命は自分で守る。

 

どうも、筆者の村瀬です。

いきなりですが、南三陸語り部バス」というものをご存じでしょうか。

 

私はこの存在を、NHKの「クローズアップ現代」を見て知りました。

 

語り部バス」とは、震災を体験した語り部の方が60分間のバスツアーのような感じで、南三陸の各所を回りながら体験をお話してくれるというものです。

 

学生時代に震災に対する自分事感を深めておいた方がいだろうと考えて、

思い立ったらすぐ行動。友人と2人で先日体験してきました。

 

今回はそのことについて共有をし、東日本から11年。

風化させないようもう一度あの日を振り返るきっかけになればと思います。

 

南三陸町というまち

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南三陸町宮城県の北東部、海に面した町です。

志津川湾を有しており、タコ・わかめ・サケ・ウニなどの海産資源にも恵まれた土地です。

 

震災前まではJR気仙沼線が通り、商店街などもある港町で人口も1.7万人いました。

 

上の写真は私が大学1年の時に参加した被災地学習の漁業体験の時のものです。

カキの養殖が盛んで、こんな風に海に沈めた養殖カキを引っ張り上げて収穫します。

ホヤがカキに付着していることもありますが、このホヤも南三陸の名産の1つです。

 

3.11の津波ではこの複雑な地形も相まって南三陸は非常にせい惨な被害を受けました。20m近い津波が、建物の約62%という広い範囲を襲ったそうです。

1.7万人いた人口も、震災後の流出で現在は1.2万人ほどと町の縮小も大きな問題となっています。

 

語り部バスとは?

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今回私が参加した「語り部バス」は南三陸にあるホテル「ホテル観洋」さんが行っている取り組みで、宿泊をすれば500円で参加することができます。

 

ともに大きな被害を受けた戸倉地区・志津川地区を巡りながら、

震災当時のお話をスタッフの方がしてくださいます。

時間は約60分で、非常に密度の濃い時間が過ごせました。

 

私がテレビで見た伊藤さんという方と実際にお話を聞いた方鈴木さんという方でそれぞれ使っている写真が違っていたので、

もしかしたら語り部の方おのおのが伝えたいことに合わせた写真を選んでくれているのかもしれません。

 

テレビでは何度も見た被災地の様子ですが、実際に建物が流された街並みや人が暮らしていた痕跡を直で見ると心に来るものがありました。

語り部バスについてのURLはこちらです。↓

 

戸倉小学校の話

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震災において「最後に人の命を救うのは人の判断」ということの好例がこの戸倉小学校です。

この学校は海に近いこともあり津波への意識は高く、防災訓練などもしっかり行っていたそうです。

 

ところで避難には2ステップあり、①校庭へ集まる1次避難 と ②高台へ逃げる2次避難 を行うのがセオリーです。

 

3.11の日。これまでの想定では小学校の屋上へ逃げればまず大丈夫だとされてきたものの、今回の津波の大きさを一目見て、それでは不十分だと判断しました。

屋上に避難した場合、波が引くまで子供たちを屋上で孤立させてしまうとの考えもあり、1次避難をせずに高台へ避難することを決めました。

さらにこれではまだ油断できないと校長先生は判断。さらに高い神社へ生徒たちを誘導し、結果生徒全員の命が助かりました。

 

後から見ると高台の住居も一部被害にあっており、神社まで逃げるという判断は正しかったといえます。

マニュアルにとらわれずに判断すること

日ごろから防災意識を持つこと

が重要だと語り部の方は話してくれました。

 

高野会館の話

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震災前は冠婚葬祭に使われていたこの高野会館は海からとても近いところにあります。

 

写真の青い線が見えるでしょうか。この建物の3階部分まで津波が来たそうです。

始めは3階まで避難したそうですが、それではまだ足りないということでスタッフが屋上まで人々を誘導し多くの利用者・地域住民が助かりました。

 

高野会館のような低い土地ではむやみに高台を目指すよりは、屋上のような高いところへ行くことを優先した方が助かる可能性が上がるようです。

 

避難の方法は常に完全な正解が見えているわけではなく、その時の状況やその土地にあった判断を行うことが重要なんだと感じました。

そのためには私たち1人1人が常日頃からいろいろなシチュエーションを想定しながら防災について考える必要があるんだろうなと思いました。

 

語り部の方の言葉

鈴木さん

「自分だけは大丈夫、と考えてしまいがち。自分の身は自分で守る」

「だれでも被災する可能性はある。『まさかの事』ではない」

伊藤さん

「自分が犠牲になってしまったら守りたい人を守ることもできない」

「ふるさとがこんなに良くなったと胸を張って言える日まで語り部を続けていきたい」

 

震災からまもなく11年

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私は3.11の時は小学5年生でした。帰りの会をしていた記憶があります。時を同じくしてこんな悲劇が東北では起こっていたのかと今回実感し、胸が痛みました。

 

この後仙台にある「荒浜小学校震災遺構」にも足を運びました。

津波に襲われた小学校の内部を見学できる施設です。

人々の住んでいた家が流されてまっさらになってしまった街並みや避難生活の様子について知ると、とても現実の事には思えませんでした。

教科書で見た戦争中の出来事のように思えました。

 

悼むことは大切ですが、他人事にもしてはいけません。

関東は直近で大きな災害の被害にはあっていませんが、

首都直下型地震や富士山噴火の可能性は常々言われていることでもあります。

 

南三陸町の人口も減っている中、

地元に残って活動を続けてくれている語り部の方がいてくれるのは私たちにとってとても幸運なことです。

草の根的な活動かもしれませんが、話を聞いた人が周りの人に伝え、

そうした連鎖によっていつか起こる災害で何人もの命が救われることになると思うからです。

 

私も今回の体験を周りの人に伝えつつ、将来大切な人ができた時にはぜひ一緒に来て命を守ることについて考えるきっかけにしたいと思いました。

 

あれから11年。今一度震災について考えるためにも「語り部バス」を利用してみてはいかがでしょうか。

では!

最後までお読みいただきありがとうございました。☆や読者になる・コメントをぜひお願いいたします<(_ _)>

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