村瀬の井戸端会議!blog

上智大学在学中22歳の雑記ブログです。閲覧ありがとうございます!

【本棚シリーズ】佐藤栄佐久著「福島原発の真実」

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どうも、筆者の村瀬です。

今回は佐藤栄佐久著「福島原発の真実」を読んだので感想を共有したいと思います!

原発問題やエネルギーに関して本を読み進める中で出会った一冊で、福島原発に関する出来事が当事者目線で書かれており、とても勉強になりました。様々な裏事情も描かれており、考えさせられることが多くある本です。

 

 

本書について

この本は1988年から2006年の5期にわたって福島県知事を務めた佐藤栄佐久によって東日本大震災が起きて間もない2011年6月に書かれた。就任当初の1988年は炭鉱の廃坑が進んでいた時期で、そこから90年代以降の原発プルサーマル利用のいざこざを経験してこられた。2011年当時は知事ではなかったのでそこに関する記述は薄いが、そこに至る原発がたどってきた道筋が福島県民の立場で常に戦ってきた佐藤知事の視点で描かれている。

本書は第1章から時系列に沿って書かれているのだが、多くの出来事があって頭がこんがらがるので、年表形式で以下にまとめる。

福島原発を巡る出来事

1960年代~ 石炭鉱の廃坑→廃油の不法投棄の問題

 

1989.1  福島第2原発3号機 3度の警報(1,2度目の警報時には原因解明されず)

     →冷却水再循環ポンプの部品脱落、ボルトなどが原子炉内流入

1991.9  福島県双葉町から原発増設要望

     →固定資産税、電源三法交付金などの恩恵

1995.12 高速増殖炉もんじゅ」金属ナトリウム漏れ

     →事故テープ隠し

1997.2   プルサーマル計画推進の閣議決定

     →「もんじゅ」の計画が停止したことで同じくプルトニウムを消費できるプル  

      サーマルに白羽の矢

1999.9   高浜原発の英国製MOX燃料の寸法データに改ざん発覚

     .9      東海村 核燃料加工施設で臨界事故 ウランを硝酸に溶かす作業中

      →非正規の作業方法 2名死亡 被爆者667名

2000.1   プルサーマル計画延期

 

2001    地方の課税自主権の強化

      →福島県核燃料税増税を要請

2001.11  浜岡原発1号機 原子炉圧力容器底部の腐食割れによる漏水

2002.8    1980後~90年代にかけて3か所29件の点検における改ざん ひび割れ放置

2003.4    東電 点検のため全原発停止

  .10  点検記録改ざんへの処分として福島第1原発j1号機の1年間停止

2004.8    美浜原発 蒸気漏れ事故

      →4名死亡 7名負傷

2006    佐藤知事辞任

 

2010.8   プルサーマルの受け入れ同意

   .9   六ケ所村再処理工場の完成2年延期が発表

 

(注) 

電源三法交付金・・・発電所を受け入れた地域に支払われる交付金。2003年まではこの使途に制限があり、インフラなどのハード面にしか使えなかった。そのため施設を立てても管理費はその町の税金で賄わなければならなかった。

 

高速増殖炉・・・ウラン235によって発電を行うのが軽水炉であり、プルトニウムウラン238でも発電できるのが高速増殖炉だと考えていい。ウラン235は自然界に0.7%程度しか存在しないという希少性の問題や、軽水炉を用いると原爆の材料であるプルトニウムが発生するという難点を解決する。しかしこの方法は金属ナトリウムを必要とするが、水と触れると爆発するなど扱いが危険で難しい。

 

プルサーマル・・・プル(プルトニウム)サーマル(軽水炉)。高速増殖炉軽水炉の中間のような発電方法。核燃料内のウラン238(多くある方)を使ってプルトニウムを発生させて発電する仕組み。この方法だと軽水炉で発生するプロトニウムをMOX燃料に作り替え発電に利用するので、いわば核燃料のリサイクルができる。MOX燃料を再生するのには莫大な費用が掛かり、採算性と燃料自体の危険性も含めて議論のポイントになっている。

 

臨界事故・・・軽水炉ではウラン235核分裂して飛び出した中性子がまた次のウラン235核分裂させて...という連鎖反応の中で発生する熱を利用して発電を行っているが、この連鎖反応が一定の割合で起こり続けていることを臨界と呼び、その反応が意図せぬ状況下で起きてしまうことを臨界事故という。

 

核燃料税・・・福島県は核燃料税の増税を決めた。それまでは燃料価格に対して税率をかけていたがその下降傾向に対応するため、価格ではなく重量に対して税金をかけることにした。実質の税率も上がった。

 

核燃料サイクルの意義

国が高速増殖炉プルサーマルを使って核燃料サイクルを進めてきた狙いは主に以下の3つがある。

エネルギー安全保障

日本は現在発電の過半数以上を石炭石油などの火力発電に頼っている。化石燃料資源に乏しい日本は海外から輸入するほかない。先日中国が石炭を輸入するオーストラリアとの関係が悪化したことで火力発電が滞り、大規模停電が起きた。石油の輸入先も中東など情勢が不安定な地域が多く、自国内でエネルギーを確保することが必要だ。

その点核燃料サイクルを用いれば自国内で資源をリサイクルできるのでかつてから注目されてきた。

 

廃棄物量の低減

再処理を行うことで大量の高レベル放射性廃棄物を直接廃棄しなくて済むというメリットもある。結局危険な物質が生み出されることに変わりはないのだが、原発に再利用することで海外からの批判を避けられるし、危険な物質を直接埋めて処分しなくてよくなる。

 

使用済み核燃料の利用

現在各原発使用済み核燃料プール8割が埋まっているともいわれている。このままいくと原発で生み出されるごみが貯めておけなくなる。再処理工場が動くことで使用済み核燃料を当面減らすことができる。

 

経産省福島県

プルサーマルを巡る対立は、プルトニウム消費を進めたい経産省実際に原発を抱える福島県との間の立場の違いから生まれたものといえる。

 

核爆弾の材料であるプルトニウムを大量に保有していることはアメリカをはじめ多くの国から2021年現在も白い目で見られている。原発で使用する分しか保有しないと訴えてきた日本政府にとってはどうにかしてプルトニウムを消費したいという思惑があった。

 

だからと言って直接処分をすれば危険度の高い物質が長く日本のどこかに残されることになる。そうした中で危険性や採算性を度外視してプルサーマルをブルドーザー式に経産省が推し進めてきたのが佐藤知事が在任した90年代00年代だったのだ。

一方で再三のデータ改ざんや事故隠しを目の当たりにし原発に対する信頼を失った佐藤知事はあくまで県民の安全が第一だと主張し続けた。

 

本書に書かれたやりとりの数々を読み進めると、切実だと感じた。

これまで国からの補助に頼ってきた原発立地町としてはもはや原発は簡単に手放せるものではなく、原発政策を推し進めたい国との間に入り安全性を監視し続ける知事の苦労は並大抵ではなかっただろう。

 

フル稼働できない!

元々再処理工場をフル稼働して、その分を全国の原発で再利用することが核燃料サイクル事業の前提であった。

しかし規制が強化され、MOX燃料を消費することができる原発の基数が減り、六ケ所工場で作られたプルトニウムの行き場がなくなることが懸念されている。

 

プルトニウムはまさに核爆弾の原料であるから必要以上にプルトニウムを生成することは国際社会からとんでもないバッシングを受けるだろう。

だからといってお利口に使う分だけ再処理しますということになったら今度は採算が合わない。

 

1度作ってしまった六ケ所工場には今も維持管理費がかかり続ける。他国からの目、経済性、核廃棄物の処理、原発立地地域の安全・・・

何枚もの板挟みになって動けなくなっているのが現在の核燃料サイクル事業といえるだろう。

 

プルサーマルの燃料を作る工場でこの計画の要である六ケ所村再処理工場は再三のトラブルで完成延期が繰り返され、建設費用の増大が問題視されてきた。

原子力発電の最大のメリットとして発電費用が比較的低いことがあげられるが、MOX燃料の加工費はウラン燃料より大きいことも考え合わせるとどうなのだろうか。

もし核サイクルにこだわり発電コストが増大すれば一般消費者の電気代に反映される。

 

他人事ではないのだ。

 

議論の必要性

原発のあり方について今こそ国民的な議論が必要だと私は考えている。

本書の中で佐藤氏は「電源供給地である福島県消費地である東京の間で理解の差が大きい」と感じたと何度も記している。

 

たしかに原発が遠い話に感じるのも無理はない。東京で納められた税金で福島はインフラを整備できるんだからという意見もあるかもしれない。

 

誰も責めることはできないと思う。

1つ間違いがあったとするなら、核廃棄物をどうするかという現実的な計画もなしに原発という海外の技術を受け入れた1960年代の日本だろう。

でもそれも高度経済成長にあたってこれまでよりも多くの電力が必要になったという背景があった。その成長を享受しておきながら過去の政治の間違いだけを非難するのは傲慢というものだろう。

 

だからこそ国民全体で原発をどうするのか、どういう日本を将来に残したいのかの議論をすべきだと思う。

議論にあたっては情報の出し手と受け手、両方の心構えが必要である。

情報を出す方、つまり電力会社や経産省、政府は正しい情報を包み隠さず示すこと。数々の原発を巡る問題は情報をごまかす組織体制を浮き彫りにした。

一方で情報の受け手、つまり我々はその情報に対して正しい反応を示していくことが大切だ。データの改ざんや情報隠しには国民の過剰反応への恐れが感じられた。国民はマスコミが出す情報に踊らされるのではなく、何が問題なのかを冷静に判断する目が必要だ。

 

佐藤氏は本書の中で「原子力政策は民主主義の熟度を図る素材である」と述べている。

これまで原発問題は「良し悪し」の観点はお留守になりがちだった。

 

海外で効率のいい発電方法があるらしい。

プルトニウムをどうにかしないと。

六ケ所も作ったし核サイクルは進めるしかない。

 

この過程の中で、

核に泣いた日本だから安全が担保されない限り原発は導入しない、とか

原発に危険性があるのは認める、だから動かすならどんな小さな異常でも公にする仕組みづくりをする、とか

 

何が正しいかを議論しながら、ブレーキをかけながら進めていくことは可能だったんじゃないかと思う。それを組織の都合や利権で先行きも見通せないのに進めてきた結果、福島原発のような悲劇が起きたのだと思う。

 

もう実際に日本には原発ができているのでこれからどうするのかを話し合うことしかできない。

しかし東京湾原発を移転してこないと話ができないなんてことはないと信じている。電力需要を理由に原発を止められないなら、電力供給量に合わせて社会を変容させることだってありだと思う。

安全を取るのか、経済成長を取るのか、それともかつて作られたシナリオを守るのか。そうした議論はこの10年間で絶対的に必要なことだと思う。

 

私は今後もエネルギー問題については勉強を続け、このブログなどを通じて発信できたらと思います。日本の将来を左右するこの問題について一緒に考えていきましょう!

 

 

インスタ→@village_10shit